C55形蒸気機関車スペシャルサイト
C55形蒸気機関車イラスト
C55への道
~ 鉄道時代の幕明け ~

1814(文化11)年、イングランドのジョージ・スティーブンソンによる蒸気機関車の誕生を契機に、欧米では蒸気機関車を使用する鉄道網が各地に広がりました。日本には江戸時代(徳川幕府)末期に、文献などによる鉄道についての情報が伝わっており、やがて1854(嘉永7)年にアメリカからの使節であるペリーが、将軍へ蒸気機関車の模型を献上品として、さらにスコットランドの商人であるトーマス・グラバーが1865(慶応元)年に蒸気機関車の模型の運転を行なったことなどで、驚きをもって伝えられました。
明治政府が誕生すると、文明の利器としての鉄道の重要性がますます認識されるようになり、特に政治の中心となった東京と開港場となっていた横浜間には、一早い鉄道建設が望まれるようになりました。このため外国人技術者などの協力を得ながら、1872(明治5)年10月14日に新橋―横浜で、日本初の鉄道の開業式に漕ぎつけたことは周知の事実です。その後、大阪―神戸、大阪―京都などでも鉄道が開通し、やがて日本全国に鉄道網が伸長するようになります。

このころの鉄道建設は国家事業としての位置付けであったため、これを具体的に推進する管轄局は作業量拡大とともに「鉄道掛」、「鉄道寮」、「鉄道局」、「鉄道作業局」などの名称に変わり、官設鉄道(官鉄)時代とも呼ばれます。また、地方においては私設鉄道(私鉄)としても建設され、そこで使われる蒸気機関車も輸入による主力のタンク機に加え、石炭と水を別に後部に積載するテンダ(炭水車)機が多く登場します。官鉄も1908(明治41)に「鉄道院」、1920(大正9)年に「鉄道省」に名称が変わりますが、この頃は戦下の影響もあって鉄道の輸送力増大が重要な使命となっていました。このため私鉄を含む鉄道網の統一化のための国有化議論に拍車がかっており、1906(明治39)年に主要な線区を国が管理・管轄する鉄道国有法が公布、当時の日本鉄道、北海道炭鉱、甲武、総武、関西、山陽、九州などの17の私鉄が買収されました。さらには1949(昭和24)年に公共企業体としての日本国有鉄道(国鉄)が発足し、国から独立した形で鉄道を経営、その後1987(昭和62)年まで運営が続きます。

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~ 国産蒸気機関車の登場 ~

蒸気機関車に注目すると、初めて日本での鉄道開業から日本国有鉄道が発足するまで、さまざまな形式が活躍しました。初の鉄道開業直後では連結される客車数も少なく、走行距離も短かったため、イギリス製で車軸配列が1B(先台車1軸、動輪2軸/通称 ポーター)のタンク機が主力でしたが、1880(明治13)年に北海道幌内鉄道が開業すると、アメリカ製の1C(先台車1軸、動輪3軸/モーガル)のテンダ機の1号(義経号)、2号(弁慶号)などが輸入されるなど、黎明期として外国製の機関車が多数使用されました。しかし、これらそれぞれ異なる運転操作が必要で、これは保守の面でもかなり煩雑となり、やがては効率化が求められ、結果として本格的な国産の蒸気機関車の開発が叫ばれるようになります。これらの要望が、大正期に入り輸入機関車を参考としながらも、国産技術を注入した9600形(1913年)や8620形(1914年)で実を結ぶことになり、9600形は軸配置が1D(先台車1軸、動輪4軸/コンソリデーション)で貨物用、8620形は軸配置が1C(先台車1軸、動輪3軸/モーガル)で客貨両用とされ、両機は本格的な初の国産標準型蒸気機関車となりました。

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その後、鉄道による輸送はますます増大し、ついには広軌への改軌論も検討されますが、最終的には狭軌として、より高性能な蒸気機関車の開発が決定します。これに応えるために、1919(大正8)年に誕生した機関車がC51形です。国産初の2C1(先台車2軸、動輪3軸、従台車1軸/パシフィック)で、軸重を幹線の規格で最大の15tとし、動輪径を1750mmまで拡大(8620形は1600mm)、狭軌鉄道としては当時世界最大となり、最高速度100km/hとしてスピード性能を高めた機関車となりました。その高速性能によりC51形は、1930(昭和5)年に、東京―名古屋で特急「燕」(列車は東京―神戸)もけん引したことは有名です。そのC51形の改良型として1932(昭和7)年に登場したのがC54形です。幹線以外でも運用できるよう板台枠などを採用し、機関車重量を65.3t(C51形67.75t)、軸重14.0tに抑え、軽量化を実現しました。ドイツで開発された屏風型排煙板(除煙板、デフレクタとも言う)を基に、排煙装置も初めて正式採用され、効果が良好なことから、その後に登場する蒸気機関車に標準装備され、以降さまざまな形状の排煙板が登場するようになります。しかし、C54形の軽量化は、一部の区間での登坂力に問題が生じ、逆に下り勾配での速度超過などを起こすことになり、台枠などにも亀裂が入る問題などが重なったため、1963(昭和38)年には活躍を終えて、短い生涯となりました。

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~ C55形の誕生 ~

そのC51形やC54形の後継機が1935(昭和10)年に誕生します。近代化標準旅客機の先駆けと言われるC55形です。当時は電化区間も拡大しており、鉄道の高速化がますます進んでいました。1934(昭和9)7月には東海道本線吹田-山陽本線須磨が電化され、国鉄でもこの区間へ電車を投入することになり、それまでの阪神、阪急による大阪-神戸での競走をさらに激化させ、やがて京阪神でのスピードアップとサービス改善競走が始まった頃でした。同年11月には東海道本線国府津―沼津にある丹那トンネルが竣工し、一部電気機関車使用による大幅な時間短縮も実現していた時代でした。
C55形は過度の軽量化を是正しながら、より強度をアップさせるための以下のような対策が施されています。その他を含め、特徴をまとめると以下のようになります。

・機関車重量 66.04t (流線形68.0 t) 軸重13.6t、シリンダー 510×660mm、ボイラー圧力 14.0kg/cm2
・動輪径は1750mmでC51形と同等、狭軌としては当時世界最大
・車体強度を向上させるため、厚さ約90mmの圧延鋼板による棒台枠の採用や各所で溶接工法を多用
・動輪はスポーク式で強度アップのため、輪心中央部分とリム部分に鳥の水かきのような補強を追加
・蒸気ドーム、砂箱を一体化し、ボイラー上のドームカバーが長くなった
・蒸気ドームの加減弁を操作する引き棒は、ボイラー横に外付けされ、運転室蒸気分配箱などを焚き口上部へ配置でき、操作性、保守性を向上
・ボイラー横の歩み板を一直線状に処理し、スピード感をアップ
・キャブ(運転室)前面は、後退角の付いた折妻構造を採用、その後のC56、C57、C59に受け継がれている
・テンダは12-17形(石炭積載量12t、水槽の容量17m3)ながら、それまでのリベットによる組み立てから溶接による構造に変更され、鋳鉄製揺れまくら式2軸ボギー台車を採用
・1次形、2次形、3次形があり、2次形は当時流行の流線形で登場した
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C55形は製造時期の違いで、1次形、2次形、3次形に分けられます。1次形は1~19号機で、1935(昭和10)年に川崎車輛、汽車製造、日立製作所で落成しました。2次形の20~40号機は当時流行していた流線形で登場、1次形同様に川崎車輛、汽車製造、日立製作所で落成しました。機関車、テンダ共にカバーで覆われ、外観からのスピード感は向上しましたが、運転上での効果はあまり認められなかったため、後に通常形に改造されています。3次形は41~62号機で、川崎車輛、汽車製造、三菱重工業で落成、車体形状が通常形に戻され、車体全長が1次形よりも100mm縮まるなど、ごく細部で違いがあります。さらに、C55形3次形の63、64号機製造の計画もありましたが、貨物機のD51形(1936年~)で採用した箱形(ボックス)輪心などに加え、最新の技術を投入させることとなり、これらはC57形1号機、2号機として新たに誕生しています。
C55形は四国地方を除く全国に配置されました。北から小樽築港、函館、青森、仙台、福島、宇都宮、水戸、浜松、名古屋、米原、梅小路、奈良、宮原、福知山、小郡、門司、鳥栖、大分などで、転属を繰り返しながら活躍しました。C55形晩年となる1966年ころには、当時の国鉄の動力近代化により、特に北海道、九州地区への転属が多くなり、北海道では函館、宗谷、室蘭の各線区で、九州では日豊、筑豊、吉都、肥薩の各線区で活躍しました。この頃の北海道のC55形は寒地仕様として運転室が密閉式となり、後部に仕切り用の壁が追加されるなどの改造を受けています。また、シールドビーム化された前照灯の横にも予備灯が取り付けられていました。九州のC55形は、「門デフ」と呼ばれ、小倉工場で取り付けられたことで「小工式デフ」とも呼ばれる、切り取り式徐煙板(排煙板)が取り付けられていた形式もありました。北海道、九州地区に残ったC55形は、徐々に数を減らしながら、1970年代中頃までその姿を見ることができました。特に通常形は、その後の近代型標準機C57と変わらない評価を残していることは特筆に値します。

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1978年版TOMIX総合カタログ
~ 幻のトミックスC55形 ついにプロジェクト始動 ~

1978年版総合カタログで発表し、その後製品化を見送っていた幻のトミックスC55形。
トミックス蒸気機関車製品のルーツは、トミーNスケール(1974年~1976年)時代に私鉄向けのK.S.K.(汽車会社)タイプCタンクの発売からとなります。その後1982年にトミックス初の国鉄蒸気機関車として、C57形を発売いたしました。この時のC57形は、機関車本体をほぼプラ成形で構成、テンダー上回りをダイキャスト製とし、この中にモーターやギア類を収納、車輪の第1~第3軸を駆動させるテンダを動力部とする独特の設計でした。これは、できる限りファインスケールでの設計を重視させるため、機関車本体が太くならないよう配慮した検討に基づくものでした。このトミックスの設計思想のひとつである“実車のプロポーションを重視した製品化”は、1985年発売のEF66形電気機関車などにも踏襲されて、当時から現在に至るまで受け継がれています。C57形と同時に、製品化を予告しながら見送りとなり、トミックスとしては幻の形式となっていた蒸気機関車製品がC55形です。

C55形製品化は1978年からのトミックスの夢であり、約束でした。
今その実現のため“プロジェクトC55”が始動、2022年12月発売に向けてトミックススタッフ一丸となって鋭意進行中です。


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