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※写真は実車です ※掲載している写真は各種権利の関係上、転載禁止とさせていただきます
 SL銀河   模 型 
☆☆☆ SL銀河 ☆☆☆
~ 釜石線とSL運転 ~

「SL銀河」は2014(平成26)年4月12日から2023(令和5)年6月11日(定期運行は6月4日)まで釜石線を運行していたSL列車です。
釜石線は東北本線の花巻駅を起点として三陸の中核都市である釜石を結ぶ90.2kmの路線です。中間地点にある遠野市は柳田國男の「遠野物語」や河童、座敷童子の伝説で知られており、めがね橋として親しまれている宮守川橋梁をはじめ、急勾配とダイナミックな車窓を楽しめる仙人峠など見どころが多く存在します。
そんな釜石線でのSL復活運転は1989(平成元)年に運行を開始した「SL銀河ドリーム号」が原点です。この列車のけん引機はD51形498号機で、仙人峠の急勾配区間ではディーゼル機関車が補機に付いていました。「SL銀河ドリーム号」は人気を博したものの、2004(平成16)年に運行を終了しています。
2011(平成23)年3月11日、東日本大震災が発生し、釜石市を中心に甚大な被害に遭いました。それを受けて翌2012(平成24)年に岩手デスティネーションキャンペーン及び震災復興支援のためD51形498号機のけん引で「SL銀河ドリーム号」を北上~釜石間で運行。これが好評だったこともあり、JR東日本は釜石線でSL列車の定期運行を行うことを2012(平成24)年10月12日に発表しました。
けん引機には岩手県盛岡市の岩手県営運動公園で静態保存されていたC58形239号機を抜擢。2012(平成24)年に12月4日に大宮総合車両センターに陸送し、約1年間かけて復元工事を行い、2014(平成26)年1月6日に車籍を復帰。盛岡車両センターに配置となりました。仙人峠の急勾配区間の対策については、客車にJR北海道から購入したキハ141系ディーゼルカーを改造して使用することで対応。キハ141系は50系51形客車をディーゼルカー化した車両で、客車の雰囲気が残っています。また、ディーゼルカーなので自走することができ、急勾配区間ではC58形239号機を後押ししてサポートしています。

~ C58 239 ~
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C58形は8620形の速度と9600形のけん引力を持ち合わせた客貨両用の万能機で、全国各地のローカル線を中心に活躍しました。239号機は1940(昭和15)年6月26日に川崎車輛(現・川崎車両)で新製され稲沢機関区に配置されました。その後、翌1941(昭和16)年2月14日に奈良機関区に転属。さらに1943(昭和18)年5月に宮古機関区に転属して以来、東北地方で活躍しました。約30年の活躍ののち、1972(昭和47)年5月22日で廃車され、1973(昭和48)年5月1日から岩手県盛岡市内の県営運動公園で長らく静態保存されました。
復元された239号機は宮古機関区時代をイメージしていて、ランボードや煙室ハンドルは黒く塗装。飾り帯などもない、現役時代の姿を再現していました。また、運転台の窓枠はニス塗りとしています。前照灯の主灯・副灯ともシールドビームのLP405形を配置するという、当時東北のSLでは一般的だったスタイルも再現。ただし炭水車のテンダーライトは大型のLP403形となっています。一方、宮古機関区時代に装備していた郡山式集煙装置の復元は見送られました。
保安装置は関東地区での運行も考慮してATS-PとATS-Psを搭載しました。先輪付近にはATS-P車上子を取り付けていますが、これを目立たなくするため、新造したスノープロウを常時装着しています。また、速度計は従来の機械式から電気式に変更。運転台にはATS-P表示器を追加しています。ATS-P関連機器の搭載により、消費電力量が増えたためATS発電機は大型のものに交換されています。
炭水車は現役時代に搭載していた重油タンクを撤去し、高さが目立たないタイプの重油タンクを新造して設置。そのタンク上には無線アンテナが取り付けられています。給水口は中央部から助士席側へ移設するとともに、地上の給水ホースと接続するパイプとエア抜きパイプを新設。また、キハ141系で軸受の油温管理や電気的通信のためにKE100C-2形ジャンパ連結器と引通し回路を炭水庫運転席側下部に追設しています。
なお、一時的に煙室扉ハンドルの金色化や給水温め器、空気圧縮機に金色の飾り帯の設置や主灯を大型のLP403形に交換したことがあるほか、ナンバープレートの地色を変更したこともありました。こうした外観の変化も本機の特徴と言えるでしょう。

~ キハ141系 ~
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「SL銀河」の客車として使用された141系ディーゼルカーは、JR北海道が1990(平成2)~1995(平成7)年に客車の50系51形をディーゼルカー化した車両です。客車時代の車体をベースに運転台やエンジンを搭載したので、客車のイメージがかなり残っているのが特徴です。自力走行可能なことから、JR東日本は「SL銀河」の客車兼補機としてキハ141系キハ142形・キハ143形各1両とキサハ144形2両をJR北海道から購入し、内外装を改造しました。
「SL銀河」用編成は花巻方1号車からキハ142-701・キサハ144-702・キサハ144-701・キハ143-701の4両編成で、内外装は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」と「東北の文化・自然・風景を通してのイマジネーションの旅」をコンセプトとしてデザイン。車体カラーは「夜が明け、朝へ変わりゆく空」を1号車の明るい青から4号車の濃紺までのグラデーションで、さらに各車両にはシンボルとなる星座を真鍮の装飾で表現しています。
車内は大正・昭和の世界観をイメージ。南部鉄器風の荷棚やステンドグラス風の飾り照明のほか、ガス灯風の照明も採用しています。客室はボックスシート配置した普通車指定席とし、1号車にミニプラネタリウム、2?4号車にフリースペースを設置。4号車にはオープンスペース・売店・ラウンジがありました。 動力車となる1号車のキハ142-701と4号車のキハ143-701は走行用エンジンが換装され、キハ142形に300psのDMF13HZE形を2台、キハ143形には450psのDMF13HZD形を1台搭載しています。同時に液体変速機もDW14A-D形に交換されました。台車は車両によって異なり、1号車のキハ142形はコイルバネのDT22A形、2・3号車のキサハ144形もコイルバネのTR51形、4号車のキハ143形は空気バネのボルスタレス台車N-DT150A形を装着していました。
キハ141系の編成端には運転台があり、急勾配を登る際にはC58形239号機と無線で連絡を取り合いながら協調運転を行います。キハ141系とC58形239号機をKE100C-2形ジャンパ連結器で繋ぎ、運転台のATS切替連動スイッチとSL補機スイッチをオンとすることにより、キハ141系のATSがオフの状態でもマスコンで力行することができます。また、キハ141系は自走できるので花巻~盛岡間の回送列車では先頭に立って走っていました。

~ 運 用 ~
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「SL銀河」の運行距離は90.2kmと長距離で、途中には仙人峠の急勾配区間があるため、土曜日に花巻~釜石間の往路を4時間34分かけて走行。日曜日に復路を5時間22分かけて走行するダイヤが組まれ、1泊2日で往復したSL列車は全国でもここだけでした。
途中の遠野駅では給水や灰落としを行うため1時間以上停車することから、乗客は遠野観光を楽しむことができました。撮影派にとってもこの長時間停車は好都合。多くのアマチュアカメラマンは遠野以西のハイライトである宮守川橋梁(めがね橋)と遠野以東のハイライトである仙人峠・陸中大橋駅を掛け持ちしていました。
なお、盛岡駅から花巻駅までの回送列車はキハ141系が先頭に立って自走するため、C58形239号機が最後尾にぶら下がった状態で走ります。これもここだけで見られた光景でした。 2021(令和3)年11月29日、JR東日本は「SL銀河」の運行を2023(令和5)年春で終了することを発表しました。終了の理由は客車として使用してきたキハ141系の老朽化です。「SL銀河」の定期運行は2023(令和5)年6月4日で終了し、翌週の6月10・11日の団体臨時列車の運行がフィナーレとなりました。
キハ141系は運行終了後、引退して秋田総合車両センターへ回送されましたが、C58形239号機は少なくとも2025 (令和7)年までは盛岡車両センターに配置されると発表。一般公開イベントを度々開催しています。C58形は扱いやすい万能機。また、239号機は全般検査を2021年に受けたばかりで、まだまだ走ることができます。今後の活躍が期待されます。